〜スタッフおすすめの戸塚スポット その3

「富塚八幡宮で戸塚の名前の由来を考える」

シネマトトツカの夏井です。新型コロナウイルスの影響がまだまだ続く日々が続いてますが、映画館は再開され徐々に延期となっていた作品も公開され始めてますね。皆様ジブリ作品でも観に行きましたでしょうか。今回のスタッフブログでは戸塚の名前の由来について記載していこうと思います!

皆様、戸塚の由来ってご存知ですか?

様々なメディアでの記載もあり、諸説あるようですが言い伝えによると「戸塚」の地名には「富塚」「十塚」「豊塚」という三つの由来があるそうです。

「富塚」は、富塚八幡宮の山頂にある古墳、はっきりとは伝承がありませんが、富属彦命の墳堂と伝えられてます。これを富塚と称しており、それが戸塚の地名発生となったと伝承されています。

「十塚」は昔々ある武士がこの地で十人の盗賊を退治し、10の墓を作って埋めた塚だから十塚という説?もあるそう。

「豊塚」に関してはあまり調べても出て来ません。。すみません。笑

一番有力な説としては最初の「富塚」説が有力なようです。

富塚の由来の場所を紹介していきます。

写真は富塚八幡宮の写真です。

伝説によると、この場所は平安時代、奥州「前九年の役」平定のために、源頼義、義家親子が奥州に下る途中、当地に露営した折り、夢に交神天皇及び富属彦命の神託を蒙り、其の加護により戦功を立てることが出来たのに感謝して、延文四年(西暦1072年)社殿が築かれ、両祭神を勧請したそうです。由緒ありますねー。そして私が初めてこの場所に行った時に驚いたのが、戸塚に古墳があるという事!

そして調べると、横浜市内ではあまり数の多くない前方後円墳が戸塚にも実はあることが驚きでした!そして、その歴史を辿ると、、なんと、、あまりよく分かっていないみたいです。笑

富塚古墳の埋葬施設や出土品は知られていないようです。また測量調査期間中も遺物を拾う事はできなかったみたい。古墳の形の類似性から考えると、東京都狛江市の亀塚古墳や、横浜市港北区の綱島古墳に類似している事から、前述した古墳が作られた5世紀後半代との同時期に作られた見解が強いそうです。本当にそうであれば、凄いことですね! 約1400年前からこの地に人が住んでいたと思うとロマンがありますね。

お墓の主と言われる、富属彦命は相武国造の二世孫らしい。

相武国造は相模国東部を支配した国造(古代日本の行政機構において、地方を治める官職の一種) です。最初は人の名前かと思いました。。富塚さんかどうかはさておき、当時とても身分の高く、この土地一帯を治めた人物の墓であることは確かなようですね。いつか解明される日が来るかもしれませんが、ずっと分からなくても、それはそれでいいですが。

 

また、かつては富塚古墳のある戸塚町にはいくつかの古墳が存在して古墳群を構成していたようですが、現在は富塚を残して全て破壊され、正確な場所が把握できないようです。その中でも富塚古墳の南西の丘陵上にあったとされる坂下荒塚古墳から勾玉5個と管玉が出土したそうです。それは鶴岡八幡宮に納められたと伝えられています。

 

古墳郡見てみたかったですが、残念です。

戸塚は、江戸時代の戸塚宿としての栄えた時代が一番認知されるているかもしれませんが、その他にも様々な歴史や過去の物語がありそうです。自分達の住む街の歴史、もっと知ってみたくなりましたか? 夏なので、あまり無理しないで欲しいですがお散歩でもしながら今年は地域の歴史を楽しむ機会を増やしてみてはいかがでしょうか!!

 

次回の上映会もお楽しみに!

シネマトトツカ 夏井祐矢

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